中日ドラゴンズの大島洋平選手は2023年には2000本安打を達成しましたね!
中日ドラゴンズ一筋、なくてはならない存在の大島洋平選手ですが、これまでの経歴を振り返ってみたいと思います。
また学歴や年俸推移、安打数なども含めてお伝えさせていただきます。
今回は、大島洋平選手のwiki風プロフィールや学歴(高校・大学)、経歴を年俸推移や安打数も含めてお伝えいたします。
大島洋平のwiki風プロフィール!
- 名前:大島 洋平(おおしま ようへい)
- 生年月日:1985年11月9日
- 年齢:38歳(2024年7月現在)
- 身長:176㎝
- 体重:75㎏
- 所属:中日ドラゴンズ
- 投/打:左投/左打
- プロ入り:2009年ドラフト5位
- 出身地:愛知県名古屋市緑区
2023年8月26日、大島洋平大選手が2000本安打を達成されました。
素晴らしいですね。
2010年の入団から中日ドラゴンズ一筋で支えてきた大島選手、その歴史を振り返ってみましょう。
野球はいつから?
大島洋平選手の出身は中日ドラゴンズの本拠地・名古屋です。
小さい時から、父親の影響でプロ野球観戦に連れて行ってもらっていたといいます。
大島洋平選手の通っていた小学校は、
名古屋市立徳重小学校
です。
小学校1年生の時に、父親からグローブをプレゼントしてもらいとても嬉しかったそうです。
そして、小学校4年生になると、「名古屋平針HBC少年野球クラブ」軟式野球を開始。
中学校は、
名古屋市立扇台中学校
に通っていました。
この中学時代に、少年野球ボーイズリーグの「東海チャレンジャー」に所属し公式野球を始めました。
守備は、投手兼外野手としてメキメキ力を付けました。
卒アルの写真がとてもかわいいです。
そして高校は野球強豪校に進学します。
大島洋平の学歴(高校・大学)!
それでは、大島洋平選手の学歴を見てみましょう。
大島洋平の出身高校!
大島洋平選手の出身高校は、
です。
大島洋平選手、高校生でもまだまだいけそうですね。
享栄高等学校は、名古屋市私学4強の1つなんですね。
大島選手の高校時代は、かなりきゃしゃな体で100名以上の部員の中でも目立っていなかったそうです。
ただ、
といいます。
当時、享栄高校の監督だった柴垣旭延氏は、
「どんなボールでも右に左にあるいは真ん中に人のいないところに打つのがとにかく上手だった」
引用:NHK
と、大島選手のバッティング技術の高さを語っておられます。
プロに入ってからの活躍する大島選手の原点を見たような気がしますね。
また、人間性については、
「けっこうやんちゃする年頃なんですけど、一切そういう事は見かけなかったので、そういう面で注意をしたこともなかった。高校3年間、これといったけがもなく、厳しい練習でも音を上げるということはなかった。新チームになってからは先頭になって引っ張ってくれたし芯の強さを感じていた」
引用:NHK
このコメントを聞くと、大島選手のがどれほど努力家だったのか、またその努力のおかげで夢を掴み今の活躍があるんだということがよくわかりますね。
高校時代の大島選手は、
されていました。
本来のバッティングセンスを考えると、野手として使いたかった監督の思いもあったそうです。
この高校時代には、残念ながら甲子園出場はありませんでした。
そして、大学へと進学します。
大島洋平の出身大学!
大島洋平選手の出身大学は、
駒沢大学
です。
大島洋平選手の大学時代は外野手に専念します。
そして、やはり大島選手といえばバッティングです。
2006年秋から3年連続打率3割超え。
2007年秋には打率.395で首位打者を獲得しています。
素晴らしいバッティングセンスです。
◇リーグ通算成績
- 255打数74安打
- 打率.290
- 1本塁打
- 20打点
- ベストナイン2度受賞
そいて、大島選手は大学卒業後、社会人野球へと進みます。
大島洋平の経歴!年俸推移や安打数!
大島洋平選手の大学卒業後からの経歴を見てみましょう。
日本生命へ!
大島洋平選手は2008年日本生命に入社し、社会人野球の道へ進みます。
入社1年目から1番打者として定着。
2008年11月開催の日本選手権では、
し、この年のベストナインに選ばれました。
しかし、2009年6月の都市対抗大会予選で右手首骨折というアクシデント。
手術でボルト固定というほどでした。
大島選手には当然この時、プロ野球のスカウトからの注目もあったので、このケガは本当に不運だったと思います。
2009年ドラフト5位指名!
大島選手は2009年のドラフトで、中日ドラゴンズから5位指名されました。
ですが、大島選手がプロレベルであることは各球団理解はしていたものの、5位という下位指名。
そこにはやはり、2009年6月の都市対抗大会予選で右手首骨折というのが大きかったようです。
当時、中日ドラゴンズのスカウト部長・中村宗男氏は、
と語っています。
しかし、ドラゴンズの担当スカウトから「大島が万全な状態になったので見てほしい」という声から、中村氏は大島選手の練習を視察。
そして、
をしたということです。
そして、スカウト部長・中村宗男氏は大島選手獲得について、
「(ドラフト指名ができる)社会人2年目は右手首を骨折をして無理かなと思っていたが回復したので下位指名した。地元の選手でもあり高校からずっと注目していた。バッティングで天才的なバットコンタクトができるなと見るたびに思っていた。普通だったら下位で獲得できる選手じゃない」
引用:NHK
と語っています。
大島選手に対するプロ野球界の高い評価がよくわかりますね。
しかし、大島選手にとってプロ入りはかなり悩んだといいます。
プロ入りへの悩み!
大島洋平選手は、ドラフトで中日ドラゴンズへの入団をかなり悩みました。
普通なら、有無を言わず進む道かもしれません。
しかし、
していたんですね。
大島選手としては、子供の頃から憧れていた球団です。
しかし、家族のことを考えると、
をかなり悩んだそうです。
最終的には、奥さんがプロ入りを後押ししたことでプロ入りを決意したということです。
奥さんの後押しで、プロの世界へということで、後には引けない勝負の世界に大島選手は飛び込んだということですね。
2010年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:1200万円
- 打率:2割5分8厘
- 安打数:81安打
大島洋平選手、プロ1年目となる2010年は、当時の落合監督に守備を認められ、
と、「1番・中堅手」として開幕スタメンを任されました。
打撃不振で4月12日に一度2軍落ちするも4月末には1軍復帰し、最終的に104試合に出場。
完全レギュラー獲得とまではいきませんでした。
この年、中日ドラゴンズはリーグ優勝。
そして、日本シリーズでは、6試合に出場し23打席9安打5打点の活躍と攻守が認められ最優秀選手に選ばれました。
2011年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:1800万円
- 打率:2割4分3厘
- 安打数:73安打
プロ2年目となり2011年は、開幕「7番・中堅手」でスタメン出場。
しかし、打撃不振から5月に2軍へ降格。
その後、スタメン復帰し「8番・中堅手」で先発起用が増えてきました。
この年は、前年より少ない96試合に出場。
この年、中日ドラゴンズはリーグ優勝しました。
大島選手はゴールデングラブ賞を受賞しています。
2012年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:2500万円
- 打率:3割1分
- 安打数:172安打
プロ3年目になる2012年は、「2番・中堅手」として開幕スタメン出場し、プロ入り初めて全試合に出場しました、。
安打数も172安打で最多安打にあと1本というほどに飛躍した年でした。
しかし、打点は13と少なく、規定打席到達した選手の中で歴代ワースト3位に入ったそうです。
そしてこの年は
に輝いています。
オフの11月には侍ジャパンにも選ばれました。
2013年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:7500万円
- 打率:2割4分8厘
- 安打数:124安打
プロ4年目となる2013年は、左ひじの違和感から第3回WBC日本代表最終メンバーの28人には選ばれませんでした。
検査の結果、遊離軟骨によって肘が「ロック」されている状態だったようで、シーズン中も悩まされ、打率.248・124安打とぜ年を下回る結果に。
オフには手術を受けました。
この年、吉見一起選手から選手会長を受け継ぎました。
2014年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:5625万円
- 打率:3割1分8厘
- 安打数:186安打
プロ5年目の2014年は、開幕から打撃の調子がよく首位打者争いするほどでした。
しかし7月半ばに左脇腹を痛め不振に落ちるも、
を記録しました。
この年の契約更改では、落合博満氏がGMに就任して初の保留者となりました。
そして、落合GMから、
- 「今年の守備じゃ俺だったら使えない」
- 「お前がそんなだから、(ドラフトで友永翔太と井領雅貴を)獲った」
という厳しい言葉も告げられたそうです。
2015年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:7400万円
- 打率:2割6分
- 安打数:147安打
プロ6年目の2015年は、最終的に、打率.260・147安打と前年は下回ったものの、本塁打6本と自己最高の記録でした。
また、契約更改では4年連続規定打席到達したことが評価され、年俸1600万円アップの9000万円でサインしました。
2016年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:9000万円
- 打率:2割9分2厘
- 安打数:175安打
プロ7年目となる2016年。
7月20日の広島カープ戦で、
この年は、4年ぶりとなる全試合出場。
この年の8月にはFA権を取得し動向が注目されましたが、
と、中日への思いを語り、ファンの心をグッとつかみましたね。
2017年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:1億5000万円
- 打率:3割1分3厘
- 安打数:149安打
プロ8年目となる2017年。
この年は、自身初の「3番・中堅手」として起用されました。
しかし、8月31日の横浜戦で右足に死球を受け腓骨骨折。
そのまま、シーズンを終了しました。
このシーズンは、
- 打率.313(リーグ3位)
- 23盗塁(リーグ2位)
という好成績で、年俸も3000万円アップの1億8000万円になりした。
2018年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:1億8000万円
- 打率:2割7分4厘
- 安打数:161安打
プロ9年目となる2018年。
この年は前年と同じく「3番・中堅手」に固定されました。
最終的に本塁打7本、打点57と自己最高を記録しました。
2019年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:1億8000万円
- 打率:3割1分2厘
- 安打数:174安打
プロ10年目となる2019年は、「2番・中堅手」として開幕起用され、当初は打撃も不振気味で打順も7番に下がることもありました。
ですが、最終的には、
この年は全試合出場し、打率.312、3本塁打、45打点、30盗塁で、7年ぶりに30盗塁以上を記録する大活躍でした。
年俸も一気に7000万円アップの2億5000万円でサインしています。
2020年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:2億5000万円
- 打率:3割1分6厘
- 安打数:146安打
プロ11年目となる2020年。
8月18日のヤクルト戦で安打を放ち、
11年目の達成は、球団最速記録を塗り替えました。
安打は146安打と、
しています。
2021年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:2億5000万円
- 打率:2割9分2厘
- 安打数:160安打
プロ12年目の2021年は、「1番・中堅手」に固定されます。
この年は、前半から好調をキープし、
- 打率.292(リーグ9位)
- 160安打(リーグ4位)
- 16盗塁
を記録する大活躍でした。
そして、
年俸では、現状維持の2憶5000万円でサインしました。
この年、平田良介選手が1億8000万円から3000万円に大幅の減俸されたため、球団では日本人外野手唯一の1億超え選手となりました。
2022年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:2億5000万円
- 打率:3割1分4厘
- 安打数:137安打
プロ13年目の2022年は前半戦絶好調で打率.350を超える活躍をしていました。
しかし、4月27日の阪神戦で死球を受けたことで登録抹消。
当初は打撲と診断されていたが、神経が切れていたといいます。
それでも5月20日にはスタメン復帰し、夏には調子も上がり8月3日のヤクルト戦では、
この年、3冠王となった村上宗隆選手と首位打者争いをしますが、結果は打率.314で2位となりました。
2023年【中日ドラゴンズ】
- 年俸:2億5000万円
- 打率:2割8分9厘
- 安打数:136安打
プロ14年目となる2023年。
されました。
大島洋平選手は現在38歳、どこまでいけるのかこの先も楽しみな選手ですね。
大島洋平のwiki経歴&学歴(高校・大学)!年俸推移や安打数もまとめ!
今回は、大島洋平のwiki経歴&学歴(高校・大学)!年俸推移や安打数もまとめ!と題してお伝えさせていただきました。
2023年8月26日に達成した2000本安打は素晴らしい記録です。
中日一筋の大島選手、この先どこまで記録を伸ばすのか楽しみですね。
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