今、最も熱い若きトランペット奏者・松井秀太朗さん。
2024年8月の『情熱大陸』に出演され話題になっています。
「トランペットで歌う」と表現する松井秀太朗さんの奏でる音はとても美しいの一言。
そんな、松井秀太朗さんの生い立ち・経歴などルーツを深堀してみたいと思います。
また、プロフィールや学歴(出身小学校・中学・高校・大学)についてもお伝えさせていただきます。
今回は、松井秀太朗のwiki経歴・学歴(出身高校・大学)!奏でるトランペットの魅力!と題してお伝えさせていただきますのでご覧ください。
松井秀太朗のwiki風プロフィール!
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— 松井秀太郎 Shutaro Matsui (@MSHUTP) August 13, 2024
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- 名前:松井 秀太朗(まつい しゅうたろう)
- 生年月日:1999年10月15日
- 年齢:24歳(2024年8月現在)
- 職業:トランペット奏者・作曲家
- ジャンル:ジャズ・クラシック
- 出身地:東京都国立市
松井秀太朗さんは今、日本のジャズシーンで最も注目のトランペット奏者です。
子供の頃にトランペットを始め、国立音大を首席で卒業されてからはすぐにプロの世界へと導かれた天才です。
姫カットでロングヘア―、そして服装を見ると女性にみえる容姿は自由を表現しているのでしょう。
そんな松井秀太朗さんをこれから深堀していきたいと思います。
まずは学歴からですが、エピソードなどは経歴にてお伝えさせていただきます。
松井秀太朗の学歴!出身高校・大学!
では、松井秀太朗さんの学歴を小学校からお伝えします。
出身小学校!
松井秀太朗さんの出身小学校は、公表されていません。
- 2006年4月:入学
- 2012年3月:卒業
実は、松井秀太朗さんは小学校に関しては触れておられません。
ですが、調べてみると、卒業された中学校は羽村第一中学校ということは判明しております。
そして、インタビューでは、
小学校のクラブ活動でトランペットを始めたんですけど、そこからもう自分がやりたくて続けました。
ということを踏まえて、羽村第一中学校へ通う生徒の出身小学校を調査すると、
- 羽村市立富士見小学校
- 羽村市立栄小学校
- 羽村市立松林小学校
の3校が、羽村第一中学校の校区内であり、金管バンドのクラブがある小学校です。
この3校の中に松井秀太朗さんの出身小学校があると推測はできます。
ただ、松井秀太朗さんの出身は国立市なので、国立市内の小学校から何らかの理由で羽村市内の中学校に進学したた可能性もあります。
調査してみると、
中学時代、希望して転入した吹奏楽の強豪校。
引用:情熱大陸
とありますので、国立市内の小学校から転入された可能性もあります。
そのあたり引き続き調査を続けます。
出身中学校は羽村第一中学校!
松井秀太朗さんの出身中学校は、
です。
こちらの中学校に関しては松井さんがXに投稿しています。
昨日のコンサートには母校羽村第一中の吹奏楽部の皆さんと恩師の玉寄先生が聴きに来てくださいました!
— 松井秀太郎 Shutaro Matsui (@MSHUTP) March 18, 2024
今週アンサンブルコンテストの全国大会を控えているということで練習にもお邪魔しました!
改めて羽一の素晴らしさを実感し、誇りに思います。コンテスト応援してます???? pic.twitter.com/w9kLlWzsVv
母校の生徒さん、そして恩師である先生がコンサートを聴きに来てくれたことに感激されたんでしょうね。
そして松井秀太朗さんは、この中学時代に吹奏楽部に所属し、音楽の道で生きていくことを決意されました。
詳しくは後程お伝えさせていただきます。
出身高校は国立音楽大学付属高等学校!
松井秀太朗さんの出身高校は、
です。
松井秀太朗さんは、高校ではクラシックを専攻されていました。
ただ、ご両親は音楽のことが全く詳しくなかったので説得されたそうです。
この高校時代にクラシックを学んでいますが、大学受験を控えた2年生の時に大きく航路変更されています。
詳しくは後程お伝えします。
出身大学は国立音楽大学!
松井秀太朗さんの出身大学は、
です。
松井秀太朗さんは大学では、”音楽学部演奏・創作学科 ジャズ専修”に進学されました。
クラシックからジャズへと航路変更されたんですね。
そして、ジャズの魅力に魅了され、本格的にジャズをやっていくことを決断されました。
ちなみに、
されています。
では、松井秀太朗さんの経歴、生い立ちについて詳しく見ていきましょう。
松井秀太朗の生い立ち・経歴!奏でるトランペットの魅力!
松井秀太朗さんの奏でるトランペットは、弱音がとても美しく、そこからいきなりの大音量の噴出するようなエネルギーには圧倒されます。
まだ24歳です。今後、日本だけではなく世界に羽ばたくジャズトランペッターとなられることでしょう。
では松井秀太朗さんについて見ていきましょう。
音楽は幼少期から!
松井秀太朗さんは幼稚園に入る前から音楽に触れていました。
家におもちゃの小さいキーボードがあって、幼稚園に入る前からそれが好きで遊んでいたんです。
生まれ持っての音楽の資質があったのでしょう。
ご両親は特に音楽が好きだったということもなかったそうですが、鍵盤を弾く秀太朗さんを見たご両親は本格的なキーボードを買ってくれたといいます。
その時には、幼稚園で先生が歌ってくれた曲や『おかあさんといっしょ』の曲をすでに弾きながら歌うほどの腕前。
童謡やクラシックのCDはたくさん買ってもらって聴いていたんです
なんとなく聴いた和音も弾けたといいます。
やはり親の目から見ても持って生まれた才能が垣間見えたのでしょう、その流れでピアノを習いに行ったこともありましたが1・2回で辞めてしまったといいます。
その理由は、
ということなんです。
自由に好きなように弾くというスタンスが大好きだった秀太朗さん、ジャズの世界を歩む道はすでに敷かれていたのかもしれませんね、
9歳でトランペットに出会う!
松井秀太朗さんは、小学校3年生の時(9歳)に小学校の高学年が入れる金管バンドに入ります。
ただ、好きな楽器が演奏できるわけではなくオーデションがあり、希望の楽器を聞かれます。
そこで、秀太朗さんはトランペットを希望。
その理由は、
と思ったから。
でも、みんなトランペットってかくんですよね(笑)
人気の楽器ですから仕方ないです。
でも、ちゃんと合格し、トランペットを吹き始めることができました。
この時、不合格だったら今の松井秀太朗さんは無かったかもしれないですね。
金管バンドは楽しかった!
小学校の金管バンドに入って秀太朗さんが一番よかったことは、
ということです。
幼少の頃からひとりで音楽をやっていた秀太朗さんには、とてもいい刺激になったということですね。
曲はマーチや嵐の曲を演奏したり、運動会の行進曲などをされていたといいます。
小学生時代はそこまで本格的な練習ではなかったといいますが、中学に入ると変わってきます。
中学生時代!
松井秀太朗さんは羽村第一中学校に入学します。
この学校の吹奏楽部は全国大会でゴールド金賞を取るほどの強豪校。
部活漬けの毎日を送ります。
オーケストラに魅了される!
秀太朗さんは次第にオーケストラに興味を持ち始めます。
“くるみ割り人形”と“白鳥の湖”を聴いて、そのメロディがシンプルで美しく、いっぺんで虜になりました。
これは、顧問の先生がチャイコフスキーが大好きで、いろいろ演奏するうちにクラシックのオーケストラに興味を持つようになりました。
ですが、このあと大きな決断をします。
プロの道を歩む決意!
オーケストラに興味を持った秀太朗さんですが、あるトランペット奏者に惹かれていきます。
セルゲイ・ナカリャコフが吹くチャイコフスキーの“ナポリの踊り”に背筋を撫でられ、プロの道を歩む決意をするんです
◇セルゲイ・ナカリャコフ(ロシア)
驚異的なヴィルトゥオージティと豊かな音楽性で「トランペット界のパガニーニ」と絶賛され、世界有数のソロ・トランペット奏者として活躍する一方、クラシックの世界でフリューゲルホルンをソロ楽器として広く認知させた最初の演奏家。
引用:JAPAN ARTS
秀太朗さんは、ソリストであるセルゲイ・ナカリャコフを知り、ソリストというものがあることを知りプロになる決意をします。
そして、中学2年生で吹奏楽部を辞め、先生に指導を受けるようになります。
ジェンダーに苦しんだ…
松井秀太朗さんはジェンダーに苦しみ、突然学校に通えなくなった時期があり家に引きこもるように。
男性らしさ女性らしさという枠に囚われたくない自分に気づき、このまま社会でやっていけるのか、大好きな音楽を続けられるのか、この先の人生の道筋がわからなくなった。
大きな壁にさえぎられてしまった秀太朗さん、とても辛かったことでしょう。
しかし、部屋でひたすらトランペットを吹き続け答えが出ます。
自分自身でその壁をぶち破った秀太朗さん強いです。
こうなれば、怖いもの無しで自分の信じた道を進めますね。
高校生時代!
国立音楽大学付属高等学校に進学した秀太朗さん。
学校ではソリストとしての勉強とオーケストラ、そして“日本モーツァルト青少年管弦楽団”という組織に入ってモーツァルトをはじめとするオーケストラ曲を演奏したりしていました。
しかし、大学受験を控えた高校2年生の時に大きく考えます。
将来なりたい自分を模索し始めたのです。
そのため大学ではどの方向に進むか決める必要がありました。
- クラッシックのソリスト
- 留学
- ポップス
- ジャズのビッグバンド
- スタジオ奏者
などなど。
そして、ジャズの道を選びます。
国立音楽大学ジャズ専修に進学!
松井秀太朗さんは、
に進学します。
この学校を選んだ理由は、
元々奥村さんに憧れて国立音大に進学したんです。
秀太朗さんは、国立音楽大学のジャズ専修講師の奥村昌さん、エリック・ミヤシロさん、中川英次郎さんたちの出す音に興味があったそう。
自分もジャズでアドリブの演奏をしてみたらどんな音になるんだろうという好奇心も大きかったとか。
講師の小曽根真さんから、
その言葉で、楽譜の無い演奏の楽しさにハマってしまったということです。
◇小曽根 真(おぞね まこと)
1983年 バークリー音大ジャズ作・編曲科を首席で卒業。同年米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム「OZONE」で全世界デビュー。以来、ソロ・ライブをはじめゲイリー・バートン、ブランフォード・マルサリス、パキート・デリベラなど世界的なトッププレイヤーとの共演や、自身のビッグ・バンド「No Name Horses」を率いてのツアーなど、ジャズの最前線で活躍。
国立音楽大学ジャズ専修を首席で卒業!
2022年3月、松井秀太朗さんは、
します。
1月にあった卒業試験では、自身で作曲したオリジナル曲
- 『HYPNOSIS(ヒプノシス)』
- 『TRUST ME(トラストミー)』
演奏します。
そして、この演奏を聞いた小曽根真さんの耳に留まり、立ち上げたばかりのプロジェクトに誘われました。
そう、在学中にプロとしてのスタートラインに立っていたということです。
2022年5月初リーダーライブ&レコーディング!
2022年5月、『BODY&SOUL(東京・渋谷のジャズ・クラブ)』でコンサートを開催。
それを聴きに来ていた小曽根さんから驚きの提案が。
小曽根さんはコンサートを聴いて、このセットリストでリーダー作を録音しよう、と提案してくれて、8月に録音が実現しました。
これからプロとしてやっていくスタートラインとなるアルバムが完成したということです。
プロデュースした小曾根真さんは、
と、松井秀太朗さんの初アルバムに花を添えられました。
そして、このアルバム「STEPS OF THE BLUE」で2023年7月、avex classicsよりメジャーデビューを果たしました。
2022年11月12日放送の『題名のない音楽会』にも、今注目すべきアーティストとして出演されています。
2023年度、第36回ミュージック・ペンクラブ音楽賞《ポピュラー部門》新人賞を受賞。
2024年1月より、全国のコンサートホールで「松井秀太郎Concert Hall Live Tour」を開催。
そのほかにも、米須玄師さんの『LADY』やKing Gnuのライブに参加するなど、アーティストサポートやスタジオミュージシャンとしても活動されています。
これからの活躍に期待が膨らみます。
松井秀太朗のwiki経歴・学歴(出身高校・大学)!奏でるトランペットの魅力!まとめ!
今回は、松井秀太朗のwiki経歴・学歴(出身高校・大学)!奏でるトランペットの魅力についても!と題してお伝えさせていただきました。
松井秀太朗さんの音楽センスは子供の頃から花開いていたんですね。
それから、悩むこともありましたが自身で立ち直り、とても強い心を感じました。
これから世界で活躍されることを祈っております。
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